日野町の鬼室神社にて

2011年11月24日 » by Luke » No Comments

2011-11-24 日野町の鬼室神社にて蒲生郡日野町に行く用事があったので、鬼室神社に行ってみました。
日野町小野(この)にあるこの神社は、朝廷が大津を都とし、大津京を建設した頃、韓国の百済(くだら)から我が国へ渡来した多数の渡来人の中の優秀な文化人であった鬼室集斯(きしつしゅうし)という高官を祀った神社です。
「この年、佐平(さへい)余自信(よじしん)・佐平鬼室集斯ら男女700余人を近江国蒲生郡に移住させた
これは日本書紀、天智8年(669)の有名な一節です。
佐平とは百済国の十六品の官位の最高位。その百済の最高位にいた亡命貴族2人を筆頭に、700余人を蒲生郡に移住させました。今から1300年以上も前のことです。

鬼室集斯は、660年に新羅と唐の連合軍に破れて滅ぼされた百済(くだら)を復興するため、抵抗軍を組織して戦った鬼室福信(きしつふくしん)の子供です。
おそらく父と共に山城に籠城し、勇猛に唐軍と戦ったことでしょう。しかし、天智2年(663)8月、我が国が派遣した水軍が白村江で唐の水軍に大敗を喫したことで、百済復興運動は絶望的となりました。

敗北した我が国の水軍は、9月には百済の亡命貴族や一般人民を乗せて我が国に向かいました。佐平余自信はその中におり、鬼室集斯の名はないが、おそらく同じ時期に我が国に亡命してきたのだろうと思われます。

劣悪な原野であった蒲生の地を開梱し、現在の見事な水田地帯に発展させた渡来人たち。
この近江の地には、かつて朝鮮半島から渡来した多くの人々によって発展してきました。そしてその名残は、人々の風習や風情と共に、現在もこの地のあちこちで見ることができます。

PS.
手塚治虫さんの「火の鳥」太陽編では、この物語をフィクション化したストーリーが語られ、現在の蒲生郡、犬上郡を始め、滋賀県の湖東地方で暮らす私たちにとって、とてもなじみ深い地名や人物がたくさん登場します。

Category:絵日記 »

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